シベリウスの曲はシベリウスっぽい。シューベルトの曲はシューベルトっぽい。について。
2016/05/31
また、ぼんやり考えていることBlogです。
例えば、テレビなどでクラシックのコンサートが流れていて、知らない曲だけど あーシベリウスっぽい和音進行だなーとか
あーーシューベルトっぽい節だなーとか
ってあると思うんです。それで題名のテロップが出てきて、やっぱりねーって。
作曲家作曲家ごと特徴のある独特な和音進行やメロディー感って ありますよね。
もちろん、バロックの技法など 決まった形式に基づくから似るというのもあるでしょうが、、、。
チャイコフスキーの曲の美しい可愛らしいメロディー とか
シューベルトのちょっと田舎っぽいような長調なのになんとなく悲しいようなメロディーとか
以前、作曲もされているある演奏家の大先輩と お話していて話題になったのです。
「僕の曲っぽいでしょ この曲。今度CDになるから。 」って おっしゃっておられ、
「ホントに先輩の曲っぽいですね〜♫素敵ですね〜〜」と。
ところで、誰の曲っぽい。というのはよいことなんでしょうか? その人のパターンんになってしまうのでしょうか? なんかいつも同じ感じ。となるのを狙ってなんでしょうかね〜?
と 。 さすがにその方にはお聞きできませんでしたが、 また別の機会に
また違う方!
作曲もされていらっしゃる演奏家の大先輩とお話になり、「今回はいつもの感じを払拭した曲を作ったんだよ」 と おっしゃっておられ、
ふむふむ。。
さてさて
先程のチャイコフスキーやシベリウスやシューベルトなどなど、世紀の大巨匠は 作曲する時に敢えて同じようなテイストにしていたのでしょうか? それとも自然に?!?!?!
その辺りがとても気になります。
宮川悦子作 「つらら。チョコ味」