野村萬斎さんの 「新宿狂言2016」を拝見。なぜ萬斎さんがやると お下品にならないのか???
2016/03/08
2016年3月5日 野村萬斎さんのお舞台へ行って参りました。
新宿狂言! 能舞台ではなく、スペース.ゼロという普通の演劇のお舞台でした。
当然能舞台ではなく 普通の舞台ですが、一般的な普及公演とも趣旨が違い、 狂言と現代劇の融合的お舞台でした。
萬斎さんが 1999年頃に考案されて始められ今回は久しぶりの新宿狂言なんですって。
能狂言って 勿論 伝統芸能ですから、形式が決まっていて勝手に変わった事をしてはいけない。常に師匠にお伺いを立てて、という世界だそうですが、(クラシック音楽の世界よりも伝統を守る事に厳しそうですよね〜)
萬斎さんは常に新しい試みを考案されていて、さらに実行力もあり、本当に尊敬致します。
私には計り知れないプレッシャーや新しい事への批判などもありそうな中 堂々と挑戦し続けているお姿に常に勇気をいただきます。
公演の内容は 是非このBlogをご覧ください!!
私がとても尊敬しているお姉さまのブログです!!
萬斎さんが解説の中で
「人間の欲望を肩代わりしてくれる事が、狂言のカタルシスでありますね」
と仰っていたのが印象的です。
カタルシスか!! 普通、悲劇の時に使う言葉かなと思っていましたが、確かにお舞台で太郎冠者や大名が本能丸出しの面白い事をして、
恥ずかしくも共感している自分に気がつく事で、ココロを解放してくれているのかもしれないなーと。
そういうご発言をさらりとなされるのも普段から、狂言を愛している証拠だなぁなんて思いました。
猿婿は全員が猿の面をつけて猿版ネズミの嫁入りみたいなお話ですが、
今回は お舞台が 現代劇調に仕込まれており、映像や音響まで使われ。なのに 小鼓や笛などのお囃子や地謡の方もいらっしゃり、まさに能狂言と現代劇のミックスでした。
みんなが猿の面で セリフも半分「きゃぁきゃぁきゃあ」だけ。
さもすれば、お笑い芸人のコントになりかねない状態にもかかわらず、常に気品があり、全く俗っぽくなく、洗練されたお舞台でした。
なぜでしょう??
すごく考えました。
能狂言独特の佇まい。 発するオーラ。 声のハリ。
全てが 隙がなく美しいからではないかな。。と思いました。
それは 一晩や二晩で完成されるものではなく、幼い頃からの積み重ねであり、さらに常に努力されているからではないかと思います。
芸に対する畏れ 愛情 の全てが 佇まいに現れるものだとすると、
自分も気をつけなくては。。と強く思います。
毎回毎回